「銀雪を纏しモノよ、お主に餞別じゃ」
魔王のその言葉に合わせて、なふゆの目の前に一枚の紙片が現れる。
とっさに受け止めたなふゆは、それを見て驚きの声を漏らした。
「これって・・・わたしと、りっちゃん?」
「うむ、それは以前この島を訪れた者が置いていった撮影機で写し出した、写真という物じゃ」
「写真・・・。まるで氷面鏡(ひもかがみ)に映ったのを、そのまま凍結したみたい・・・」
「それは島外の技術によって作られた物。よって、この島のルールに関与すること無く持ち出すことが出来るはずじゃ」
「っ! ・・・ありがとう、エリエスヴィエラさん・・・」
なふゆは大切に懐に仕舞い、目を閉じ、着物の上からそっと手を当てる。
大事な宝物が、この手の中から抜け出さないように。
小動物はエリエスヴィエラの言葉に怪訝な表情になる。
「てかよ、その写真はいつ撮ったんだよ。そんなん撮られた覚えは無いんだが」
「お主たちが気付かぬ間に撮るなど造作も無いことじゃ。主らは揃いも揃ってポケポケしとるからのぅ」
「む、それには異議を唱えさせてもらうぜぃ。さすがにそこばっかりは同意しかねるな」
「そうそう、りっちゃんもわたしも、ポケポケなんかしてないんだから~」
「・・・なふゆ。天然ってのはな、自分では気付いて無いから天然って言うらしいぜぃ」
「え? どういうこと?」
魔王は二人のやり取りを微笑みながら見ていたが、ふと笑みを消す。
「さあ、間も無く時間じゃ」
その声に合わせて魔方陣の雰囲気が変化した。
先程までの待機状態から、今すぐにでも移送の儀式が発動するかのように、空気が張り詰めていく。
「たった今、術式を起動させた。これ以上時を置いて月の位置がずれると、うまく発動するか判らなくなるでのぅ」
スッと虚空から砂時計を取り出し、それを小動物の隣に据える。
無機質な白い砂が、∞を縦にしたような容器の中をサラサラと滑り落ちていく。
「あと五分少々、砂が落ちきった時が実行時間じゃ。・・・ワシは席を外そうかのぅ、最後の時間は二人で迎えるのが良かろうて」
言うや否やエリエスヴィエラの姿は霞のように消え去り、その場には、なふゆとりっちゃんだけが残される。
予想外の魔王の配慮に二人は呆気にとられた感じだったが、どちらからともなく苦笑が浮かんだ。
「ははっ、あんなこと言ったってよ、結局はどこかで『観』たり『聴』いたりしてんだろうけどな」
「あ~、そうかも知れない。だってエリエスヴィエラさんだし、ね。・・・それにしても、最後だなんて。わたし、またこの場所へ皆に会いに来るのにね」
「ああ、そうだな・・・」
笑いが止まったあと、空白の時間が生まれる。
伝えたい思いは沢山あるのに、言葉にならなかった。そもそもこのわずかな時間では、これまで二人で積み重ねてきた想いの全てを出し切るなんて無理だった。
そんな時が止まったかのような中でも、砂時計は同じ速さで時を刻んでいる。
砂が落ちるにつれ、何かに締め付けられるようになふゆの胸が苦しくなっていく。
そして、言葉が吐息に混じって漏れた。
「――しいよ・・・」
「ん?」
「・・・わたし、さびしいよ・・・。りっちゃんが居ないと、さびしいよ・・・」
その白い頬を一筋の涙が流れる。
押し出された想いと共に、なふゆの目から止め処無く涙が溢れていた。
それでいて、なふゆは笑顔だった。
心配をかけてはいけないという思いで、必死に作ったぎこちない笑顔を浮かべながら、なふゆは大粒の涙を静かに流していた。
「なふゆ・・・」
「・・・ごめんね・・・」
なふゆは涙もそのままに、もう一度「ごめんね」と小さく言った。
それは願っても決して叶わぬことを願い続けていることに対しての侘びの言葉。
でも、それでも言わずにはおれなかった。
張り裂けそうな気持ちを抱えたまま、笑顔で“さよなら”と言うことなんて、なふゆには出来なかった。
バ~カ、謝ってんじゃねぇよ。
茶化すように笑いながらそう言って、涙を拭ってやりたかった。
でも無意識に伸ばしかけた小さな手は、薄紙ほどの厚さの結界に阻まれて空を切るだけで、触れることも叶わない。
届くのは言葉だけ。
「・・・来いよ」
ならばこの思いを、言葉に乗せて伝えよう。
「また来いよ! きっと来いよ! 必ず来いよっ!!」
大切なコイツに。
「オレッちは待ってる! ずっとずっと待っているからよっ!!」
この場所で会うためにな。
不器用な言葉と共に染み渡る、暖かな小動物の気持ち。
「うん、わたし必ず戻ってくるよっ!」
この身さえも溶けてしまいそうな、その思いに応じて。
「この場所にっ! みんなに会いにっ!!」
大好きな貴方に。
「りっちゃんに会いに、帰ってくるからっ!!」
また会いたいから。
「だから・・・」
ゴシゴシと袖で顔をこすって、それでも潤んだ瞳で小動物を見つめ、
「またね。・・・りっちゃん」
別れを涙ではなく、最高の笑顔で締めくくる。
「ああ、またな。なふゆ」
その時砂が落ちきり、大好きなその笑顔を目に焼き付けるかのように、全てが光に包まれた。
やがて光が収まったその場には、小動物だけが残されていた。
魔方陣の中には誰も居らず、円の中を名残を惜しむように光の粒子が漂っていたが、それも瞬く間に消えて失せていった。
今は初めに見た時と同じように、線に沿ってうっすらと光を放つのみ。
「・・・・・・ふぅ」
「行ってしまったのぅ」
長い沈黙の後、小動物が深いため息をつくと、それを合図にしたようなタイミングで間近に黒い影が姿を現した。
「やけに早い登場だな。もうちょい余韻を持たせてくれたって、バチは当たらねぇぜぃ」
「生きるということは、出会いと別れの連続で成り立っておる。離愁に浸るなとは言わんが、それら一つひとつに満遍なく時を取れるほどの猶予が必ずしもあるとは限らん」
「・・・何かあるのか?」
意味ありげな魔王の言葉の響きに、肩越しにおどけた口調で茶化した小動物も振り返る。
「正直、間に合ったと言って良いのか微妙なところなんじゃが、銀雪を纏いしモノを送り出せたのだから一応間に合ったと考えるべきかのぅ」
「いったい何が・・・これはっ!?」
ふと周りの様子を伺った小動物の耳に、固いものが軋み歪むような異様な音が聞こえてきた。
音のする、小動物たちが降りてきた階段の方角を見ると、すでにそこに階段は無く――真っ黒な闇が拡がっていた。
闇と石畳の交差している所に目をやると、まるで透明なヤスリで削っているかのようにゆっくりと石の部分が消滅し闇に染まっていく。
そしてそれは、確実に小動物たちに迫っていた。